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平成の雑感

kage

2019/04/16 (Tue)

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 最近は画像を選ぶという作業が中心の生活になってますね。持病の双極性障害(躁うつ病)のうつ期、気分は大丈夫なんだけど、生活が滅茶苦茶。夜中の4時に寝て(これは普通)、夜の8時に起きたりする日もある。ですので今月は、「スポーツセンター(筋トレ)」、「プール(有酸素運動)」、「休み」の順当スケジュールがこなせていない。1週間に1度、スポーツセンターかプール。これは立て直せなきゃね。

 今日もこれ書いてる時間が、プールへ行くギリギリの時間。行けるかどうか? スポセンは休み。

 さて、平成をザッと振り返りましょう。平成になった瞬間は、八王子あたりのラブホに居たんですよね。男と。数ヶ月付き合った(3回ぐらい会った)男で、コンビニチェーンのアドバイザーだか管理だかの仕事で、確かそれっきりだったね。

 その頃の筆者(fanta)の仕事はTVマスコミで、休みだったんだけど、「崩御なんで会社行った方がいいな」と思って、ラブホから男を降ろして、六本木(大嫌いな街)の会社に行ったんだわ。

 結局、その会社は1年後ぐらいに実質クビになる。自分がミスしたのと、自分にとっては実力が及ばなかったところだったね。居心地悪いことこの上ないところだった。今でもTVのテロップで会社名たまに見るよ。

 そもそもそこに中途採用で入ったのが間違いよ。他の小さな会社内定してたんだけど、この大きな会社の面接で、この大きな会社の社長が、「そこ(小さな会社)は辞めた方がいいよ」って言ったのが決定的だったけどね。

 いずれにせよ、それら会社は、いわゆるTVの下請けだから、地デジ化、TV業界不況で大変だったろうね。

 それから小さな音楽映像制作会社入って、社員数人の小さな会社だったけど、年下のバイの男性社員とすぐに恋愛関係なっちゃって、社長は酷い人(みんなそれで辞めてく)だったけど、こっちは恋愛しに行ってたし、仕事自体はこなせてたからね、まあ良かった。1年ぐらいでそのバイの子、辞めちゃって、喪失感の頃、NTTが「ダイヤルQ2」を発表したんだわ。

 ちなみにそのバイの子、15年後ぐらいに結婚して子供作って、首吊って死にました。これも「平成」のうちだから、一応言っておこう。

 話し戻すが、「ダイヤルQ2」をゲイマーケットで出せれば儲かると踏んだ私は、昭和の頃、大学出て、人の紹介で入ったベンチャー会社の社長を説得して、その社長がオーナーになって、資金出してもらって、「JNメディア」って会社作ったんだわ。
 で、東京でパーティーライン「#7557」や「バラエティ伝言板」など。1年後ぐらいに大阪にもいわゆるゲイのパーティーラインを作った。これらは当たりましたね、お陰様で。

 なにしろ初月から数百万円入ってくるんだから。だけど元金返すのが大変よ。初期投資かけ過ぎたからね。機材もいろいろトラブルし、24時間営業を実質一人でやってるわけですから、気が抜けない。この頃の4年間は、一切夢を見なかったという記憶があります。精神的な理由だと思います。

 まあしかし、大阪入れてトータルでパーソナリティ50人程雇ってて、楽しかったですよ。ゲイ同士頭の部分で遊べたしね。痛感するのはノンケ社会で意味の無い競争をしてるより、自分でゲイ社会を作ってた方が、いかに生きやすいかということですね。

 「ダイヤルQ2」が実質禁止になりますという告知を1年前に受けた。利用者登録制なんて実質利用できないと同じ事。
 「このタイミングで手を引くべき。これが一番金が残る」と主張する私にオーナーは、「いやこのマーケットを捨ててはならない。続けるべき」と頑として譲らんのよ。

 ノンケのオーナーとしては、私が提案したゲイのマーケットというのがこんなに多くあることに驚きだったんだよね。だからモノが変わってもそのままゲイマーケットが付いてくると思ってる。筆者(fanta)の考えは全然違う。ゲイマーケットは目の前に電話があるからかけていただけ。後からNTTが金をむしり取ってただけ。あくまでも「ダイヤルQ2」のシステムじゃないと儲からない。

 上記の問答をオーナーとファミレスで3時間ぐらいやったよ。双方なかなか折れない。で、こっちが折れたね。「分かりました。続けましょう。ただ、覚えといてくださいね、辞めた方がいいと言ったことを」と言いました。

 そして、振り込み制にシステム変えたり、何だかんだで300万円ぐらい損した。他社も振り込み制にしたけど、上手く行ったところなんて無かったね。

 残った金は少し残して、後はオーナーへ。オーナーはちゃんと覚えてたんですね。筆者(fanta)が、「そこそこの小金で暮らせる某国へ行く」と言ったら、70万円出したな。「バラエティ伝言板」は「ダイヤルQ2」で運営がまだできたので、その利益分の月5万円で暮らす。広告出していた「薔薇族」ですでに書いていたので、その分の原稿料はまるまるお小遣い。某国ならお大臣ですわ。

 某国はまあ、驚いたわ。空港で空港の職員が私からボールペン借りたまま返さない(しまっちゃう)のにまず仰天。1週間は仰天続きで帰ろうと思ってましたよ。が、ホテルスタッフ数人と話すようになり、だんだん慣れてきた。慣れたらこれが楽なんだな。気を使わなくていい。極端な言い方をすると周りは片言英語話す犬みたいなもんでね。自分も犬になったような気分。

 で、現地のホテルや旅行会社と親しくなり、ツーリストビザで居られる期間は5ヶ月間。のんびりすればいいものの、やはり働きバチの日本人、日本に帰って、「薔薇族」専属ライターにしてもらった(つまり月安定収入)。

 「薔薇族」ライター時代は、年の1/3は、日本でネタ取って某国で書いてましたよ。
 金がそこそこ貯まったのは、このライター時代。某国の旅行費は1年オープンの往復で買うでしょ。1年に一回。大きな支出はそのくらいで、日本の実家と格安の某国生活。それに書くのに一所懸命でほとんどそれに時間を費やして金を使わない。

 「薔薇族」に連載していた「行って撮る録る」も日本で撮って、某国で書いてた。
 まあ、「薔薇族」を出版していた第二書房も筆者(fanta)が、「男はつらいよ」の「くるま菓子舗(旧・とらや)」の規模と言ってたように出版不況と「バディ」の攻勢で青息吐息。伊藤社長自身も「先は暗い」と言ってたからね。某国旅行代理店の日本支局をネット上に作って、それでも稼げるようにしときましたよ。

 案の定、「薔薇族」は休刊。これが平成16年? 数ヶ月もしない間に「薔薇族」を買ったノンケ出版社。金額は下がったけど再雇用。数か月後、新出版社、実質編集長のAさんは、「薔薇族」のタイトルは不利と気が付き、「BZ」に変更。この「BZ」の名は、筆者(fanta)が旧「薔薇族」時代から言ってたネーミング。

 まーーあ、のびのびと、この「BZ」で仕事ができましたわ。仕事してると言うよりも遊ばせてもらってる感じでしたね。経費は全部出るわ(旧「薔薇族」時代はガソリン代なんか出ない)。モデルの子とはいちゃいちゃできるわ。裸になれるわ撮られるわ、祭りの取材で小旅行、楽しいったらないわ。

 で、この楽しい日々は10ヶ月で終了。売れないから。いいもん作っても、もうすでに出版不況に飲まれてるんですよ。それにまだ産地直売(ルミエール)発行の「バディ」には勝てないよ。
 まあ、平成最後に「バディ」休刊で、心の片隅では一種、溜飲が下がったのは事実ですね。「メンズヌーディズム」を取材されたスタッフさんはどうされているんでしょう? あそこの社長も破竹の勢いだった平成前半の多角経営は全体的に下がってるはずですから。

 「BZ」とリンクさせて、ウェブサイト「海外ゲイ旅行の勧め」を作ったのは、「BZ」がなくなる前ですね。ほぼ同時期に「メンズヌーディズム」を作った。
 某国の仕事を並行させて「メンズヌーディズム」関連を運営。今に至って、平成の終わりです。後、16日ほどですね。
 プールへ行く時間なんて、とっくに過ぎてしまいました。明日はスポーツセンターだ。

 写真は本文とは関係ありません。インパクトあるのを持ってきた。